解離性同一性障害と付き合いながらの生き方 私と私の知らない私 育った環境 日々思うこと

私と別の私と私たち

10年以上、解離性同一障害と付き合いながら生活をしています。病気だとしても建設的な人生を目指して日々奮闘

葛藤

しばらく更新しなかった

その間も私たちは人生の時間を過ごしていた

2月25日になった途端の出来事。

キヨマルがOD(オーバードラッグ)をし、飲酒した

意識がなくなり、救急搬送された

キヨマルは2月1日時点から「サチやケンが戻らないなら、2月25日に自由になる」と宣言していた

家族も承知していた

医師もカウンセラーも承知していた

でも、防げなかった

キヨマルは処方薬を調べていた
命を絶つのに必要な量もアルコールが有効な事も知っていた様子

元々、キヨマルは外界との接触を嫌う人格だ

その人格が、他のキャラクターがいない為に毎日、外界と接触していたのだ

彼は疲れ果ててしまった

2日間、意識は戻らなかった

私の家族は、初めて「命の危機」を感じたのだろう

私自身、死んでも死ななくても、良かったと今は思う

元々、「自殺する事は悪い事ではない」とユカは考えている

これはカウンセラーからの助言

ただし、「死」は最終の最終手段であるとは思う

各自(きっと病気じゃなくても)『限界』は違うだろう

25日間、外界との接触がキヨマルの『限界』だったのだ

それ以来、キヨマルは影も姿もない

ユキは初めてキヨマルの居ない世界に未だに戸惑っている

夜中に「キヨちゃんのとこ行きたい」「キヨちゃんに会いたい」と泣く事も多い

なぜ、生きなければいけないのか…

私(ユカ)は、意味を見つけられないままだ

スイッチング ユキ

カウンセラーから教わった言葉

人格が変わる事を「スイッチング」と呼ぶらしい

私(ユカ)は今、スイッチングが思うようにできない

仕事をしていた、サチ・ケンが姿を見せてくれないので、キヨ(40代 男性)とユキ(幼稚園)と生活をしている

ユキは、飲み物を自分で用意することすらできない

仕方なく、実家に帰省中

ユキはピエロだ

誰の機嫌も損ねたくない

自分の犠牲は惜しまない

いつもニコニコして、『我慢』をし続けるらしい

夜中に『我慢』は破裂して、大粒の涙を流しながら寝る

父のご機嫌取りもかなり上手い

母の癇癪もすぐに察知する

姉の気遣い、イライラにもすぐに対応する

そしてユキの考えはいつも同じ

「ユキが悪い子だから、みんなの機嫌が悪くなる」という結論

ユキは電気ポットが触れない

熱かった事があるらしく
非常に怖がる

我が家のポットにはいつも水が入っている

ユキが気がつくと水を足すから

我が家のガスレンジは毎晩、アルコールで拭かれる

汚れているのを父が怒るから

アルコールにかぶれるのにユキは一生懸命拭く

お陰でこの数週間で、私たちの手のひらは数えきれない程の水膨れができている

食卓もユキはアルコールで拭く

父、母、姉が喜ぶと思うから

ユキは一体なんの為に生まれた人格なのか

真相は分からないが、今の我が家はユキなしでは争わずに済まない

父がユキを受け入れ始めて数年

ここ数週間で父もユキを「ユキ」と呼ぶようになった

認めざるを得ない程

ユキが家庭に影響しているのだ

私(ユカ)は、ユキの気持ちが再び壊れてしまわないか心配している

出現できる人格が減っている今
ユキが壊れてしまったら
この身体はどうなるのか?

生活はどうなるのか?

不安しかない

♯解離
♯家族
♯ピエロ
♯不安

同じ境遇の方とコミュニケーションが取れれば嬉しいです

また、1人でも多くの方に解離について知って頂きたいと思います

コメント、お待ちしてます

そもそも…なぜ?

そもそもなぜ私(ユカ)は解離したのだろう

 

もちろん、医師に人生の全てを伝えることは不可能

 

それを踏まえて…

 

最初の精神科医は「家族が原因だと」と診断された

 

家庭で嫌な事があれば、私は解離して別人格に任せると言うのだ

 

もちろん意識的にそんな事はできない

 

初診の時は吃音があり、足は湾曲していた

 

当時、父との2人暮らしだった

 

数ヶ月、医師と話した結果

 

「お父さんと一緒にいる緊張感から、人格のバランスが崩れた可能性が高い」と言われた

 

不思議と納得できた

 

私は主人格ではないが、主人格(ユカコ)を支える1人なのかもしれない

 

私は別の人格を意識する事なく、生きてきたのが崩れ始めた時だった

 

『自己防衛』と言う言葉はわかる

 

しかし、自らが人格を生み出して、世の中と向き合っているとは…

 

不思議でしかない。

 

コメントお待ちしてます

同じ境遇の方との出逢いがあればな

 

♯解離

♯人格

♯初診

♯家族

親 そして 私たち 2編

今日は姉と実家で過ごした

平和に時が流れた

 

さて、前回に続き、私と親(主に母)との関わりを記したい

 

まず、母は20代半ばで両親に旅立たれ父と結婚した

 

就職という程、社会に出た事はなく

所謂、箱入り娘だ

 

お見合いを何件もした結果、

恋愛で父と結婚したのだ

 

母としては、家事をよくこなした

 

弁当も娘2人分、毎日作り続けてくれた

 

弁当は工夫が多く、季節感やイベントも欠かさない物だった

 

今の私(ユカ)には到底真似できない

 

部屋もそれなりに片付いていて、洗濯物も指定場所に収納してあった

 

朝ご飯、夕飯も一品なんて事はなく、テーブルいっぱいにお菜が並ぶのであった

 

母は、子どもの変化にも敏感だった

 

風邪もアトピーも喘息も…ほとんど一人で看病してくれた

 

娘の精神面にも神経を注いでいた

 

父が変わっていただけに、母なりの気遣いだったと思う

 

ただ父を恐れるあまりか、子どもを守る事には欠けていた

 

父の暴走を全力で止めた記憶はない

 

傷ついた心には寄り添うが

傷つかないようには出来ない不器用さがあった

 

そして、今思えば母自身が体験したことのない家庭から現実逃避していたのではないかと思う

 

末っ子の私が実家を出る頃、母は実家に戻った

 

離婚はしていないが、車で50分程度離れた実家に戻って、本来の自分を取り戻したように思う

 

50歳を過ぎてから免許を取得した事にも驚く

 

母は実家に戻り、かなり活発になった

 

自分の意見も言うようになった

 

毎日毎日、子どもに父への不満を垂れ流した母は、ある程度、父と距離をとって変化した

 

今では「何より自分が一番!」と言わんばかりに趣味の予定がぎっしりの手帳を持ち歩いている

 

ただ、そんな母にも腑に落ちない点があった

 

それは、「人の痛みを笑い話に勝手に変える」という事

 

私たちには大きな火傷がある

 

幼稚園に行く前の年の瀬

母がヤカンを持って転んだのだ

 

熱湯はテレビを見ていた娘達に向かってしまった

 

足など、見える場所はシャワーで必死に冷やしてくれたが、なぜか私は「腕が痛い」と言わなかったらしい

 

医者から「これで大丈夫かな?」と聞かれて初めて「腕が痛い」と伝えた

 

セーターを脱いだ私の腕と脇腹には皮はなかった

 

長時間、冷やす事なく放っておいたので、腕は蒸焼き状態だった

 

母はその傷を気にして、色々な温泉やサポーターをするなど、なんとか必死だった

 

私もある程度のイジメを乗り越えた

 

いつも長袖を着ていた私は、高校3年で初めてできた彼氏に火傷を見せた

 

彼は「別に気にならない」の普通の顔で答えた

 

拍子抜けしてしまった

何年も隠し続けた傷は、何でもない火傷の跡だったのだ

 

お陰で気が晴れて、半袖も着るようになった

 

ある日、他人に「あら、火傷?可愛そうに」と言われた

私たちが答える前に母は笑いながら「アトピーで肌汚いし、気にならないわよ」と答えた

 

母にあんなに強い憎悪を持ったのは初めてだと思う

 

「肌が汚い」とは、私たちが幼稚園からずっと言われてきた言葉

 

それを母の口から聞くとは

それも母は笑っていた

 

その頃だったのか、ケン(男性、18歳程度、怒り担当)が明らかに誕生した

 

父への憎悪

母への憎悪 それだけを元に生まれたキャラクターだったようだ

 

ケンと母とは、その数年後、ケンが「熱湯をかけるから座れ」とブチ切れたのに対し母が「床に座り、気がすむならどうぞ」と言った瞬間にケンの火傷に対する怒りは消えた

 

それ以降、ケンが火傷を持ち出して母を責める姿は見ていない

 

私たちは、その場その場でキャラクターが増えるのだろうか

 

必ず、どのキャラクターも役割があるのか?

 

私(ユカ)の役割とはなんなのか…

 

まだ自分でスイッチングのコントロールもできない

 

不安が募り、それを忘れる日々はまだ続くのだ

親 そして 私たち

現在、解離性同一障害について投薬とカウンセリングで治療中

 

私(ユカ)が知り得る限りの両親(特に父)との関係に触れたい

 

私は実年齢より16歳ほど年下である

 

前記したように、私には記憶があまりない

 

そこで、今回はキヨマル(成人男性)、ユキ(女児、年少)からの記憶をもらいつつ記したい

 

私が高校を卒業するまで、実家に住んでいた

 

幼い頃から、我が家は父が在宅している間は、誰にも緊張があった

 

お嬢様上がりの母と、農家から進学し会社員になった父とは価値観が合わない事が多かった

 

父の地雷はどこにあるのか誰にもわからず、突然、声を荒げ物に八つ当たりする様は、幼心にも大きな傷を与えた

 

また、母は父の地雷を踏む事に長けていた

 

「あっ、それは…」と思う事も、サラッと口にして、父の爆発を誘発するのだ

 

ちなみに、その癖は今も健在である

 

若き父は、『厳格』と言うより『駄々っ子』だったと思う

 

思い通りにならない事が嫌なのだ

 

それが、家庭であろうと、会社であろうと

 

帰宅時、既に不機嫌…そんな事はザラである

不機嫌な理由など、家にいた家族に分かるはずもない

 

21時過ぎ、ドアの鍵が「ガチャ」と鳴ると、家族は団欒を辞め、各自の居場所へ戻った

 

幼い頃は、子ども部屋として姉と同室であったが、父の帰宅後、ケラケラ笑う事は許されない

 

いや。許さない日もあるから、騒がないのが安全なのである

 

父の機嫌が悪い夕食は、まるでお通夜だ

 

誰もが茶碗と、お菜だけを見て黙々と食す

談笑などとんでもない

 

大皿料理にタバコの吸い殻をばら撒く父を何度見たことか

 

それが父の怒りの表し方なのだろう

 

ここまで書くと「DV?」と思われるかもしれない

しかし、子ども2人はさほど暴力に耐えた記憶はない

 

私に関してはほとんどない

 

むしろ、小学生の時に塾をサボったかなんだったか…尻を一発蹴られた事がある

たぶん、思い出せる暴力はその程度であり、蹴られた事もなんとも思っていない

 

父の怒りの矛先は、だいたい母だった

 

また、レストランなどでは、アルバイトであろうホール係

学校では、若手の先生に食ってかかり、よく泣かせていた

 

それは非常に恥ずかしい思い出だ

 

周りからジロジロ見られるあの感覚は、耐え難い

 

父の怒りは、立場の弱い人間に向くのだと今にして思う

 

私は末っ子だからか、父を「怖い」とは感じていたものの、身体のどこかにアザがあったこたなど一度もない

 

大人になって、振り返れば愛されていたのかもしれない

 

しかし、幼き私にそれは理解出来なかった

 

私たち(特にユキ)はピエロが役目だったようだ

自分が戯けてみせる事で家族を笑わせる

それがユキの最大の役目だ

 

それは現在も変わっていない様に思う

 

ちなみに、ユキは笑顔の父を「お父さん」と呼び、怒りに満ちると「おじさん」と呼ぶ

 

ユキには、怒る父を受け入れる事が出来ないのか、必要がないのかは不明

 

だから、今こうしてブログを記しても、ユキから怒った父の記憶は何も伝わってこない

ユキにその記憶がないからだ

 

かなり簡易に記したが、これが私たちの父である

現在、父は病を患い、人が変わっている

 

それでも、私たちの記憶や解離性がなくなるわけではない

 

次回は母について記したいと思う

 

♯解離性

♯家族

♯父

解離性になって

実年齢は30代半ば

 

でも、ユカは20代前半

気が付いたのは1ヶ月前。

 

今でこそ、私は外界と接しているが、それまでは闇の中にいた。

 

たまに恋人と会う時、睡眠導入剤を服用した後で覚醒していたらしい

 

「らしい」と言うのは、それまでの記憶がないから、母や恋人が聞いたのだ

 

私は病気だとは微塵も感じていなかった

 

私が誕生した時から記憶は途絶えがちだった

でも私の脳は、それをなんとかやり繰りしていたようだ

 

外界に接する今でも記憶のやり取りは上手くいかず、必ず他のキャラクターが後ろから見ている

 

不快感はない

それどころか安心感がある

 

私は物理的にも精神的にも『1人ぼっち』にはならない安心感だ

 

どうも、私たちは1月末で仕事をクビになった様子

 

学習塾の講師をしていたらしく、他のキャラクターに言われるがまま子供に手紙を書いている

 

主にキヨマル(男性、30〜40代)が記憶をくれている

 

知らない子ども達に手紙を書くのは骨が折れる

 

しかし、講師をしていたサチ(女性、30代)の気持ちを思えば…

 

やるしかないのだ

 

解離性の講師が与えた影響

受験前に外界と接する事が出来なくなったサチの気持ちを考えるとペンを持たずにはいられない

 

他人の記憶がどの程度正確なものか私は知らないが、キヨマルがくれる記憶は細かい

 

その時の生徒の洋服、髪型、表情、教室の雰囲気など、手に取るように分かる

 

これが解離性の障害だとしたら、それはそれで凄いものだと我ながら感心する

 

あと数十人分、なんとか書き上げたいものだ

ブログを始める

(*'-'*)ノはじめましてヽ(*'-'*)

 

この度、解離性同一性障害の生活を知っていただきたくてブログを開設しました。

 

私は患者であり、医者やカウンセラーではないので、専門的知識はありませんが、1人でも多くの方と共有したいと思います( ˙꒳​˙ ).。oO

 

よろしくお願いいたします(*´︶`*)

 

何分、ブログデビューなので…見守って下さいねよろしくっ(*`・ω・)ゞ

 

 

まずは自己紹介。

私はユカと言います。

主人格はユカコです。

他にもサチ、ケン、ユキ、キヨマル、ユリ、ソラ…色々なキャラクターと同居しています。

 

それぞれ、性別も年齢も異なります。

 

ユカは、女性で20台前半です。

 

主な記憶は、大学生時代です。

 

実生活の家族構成は

父、母、姉です。

 

徐々に家族との関係性も記していきます。