解離性同一性障害と付き合いながらの生き方 私と私の知らない私 育った環境 日々思うこと

私と別の私と私たち

10年以上、解離性同一障害と付き合いながら生活をしています。病気だとしても建設的な人生を目指して日々奮闘

多重人格は、別人?

さぁ、ゴールデンウィークも終わり。

明日から仕事だ!と意気込んで、上司に「明日から宜しくお願い致します」とLINE。

連休前と態度は180°回転していた…

連休前は「リズムを保って、できる仕事をしよう」と言っていた上司は

「サチさんでないのなら、出勤は控えてください」と…

 

あぁ。理解してもらえていたと感じていた分、衝撃も強い。

私は、同じ身体を共有していても「他人」なのだ。

それも、本当の他人から言われる「他人」。

赤の他人どころではない。

何色かも、自分が何者なのかも分からない他人だ。

 

・契約したのはサチさんでした。と言われる…いやいや。私たちも居たよ?

同居してんだからさ。

仕事をするのはサチ。確かに伝えた。

でも、授業はケンが中心。英語を発音しているのはユキ。

一人の人格だけが仕事をしていたわけではない。

数週間、上司と話しながら仕事をして来たつもりのユカも、結局、サチではない。

だから、出勤しては困ると言う訳だ。

 

…会社はサチ個人と契約したのか?そんな事はできない。私たちの根幹は同じだから。

 

いつ、サチが自分の部屋に閉じこもってしまったのか記憶が定かではない。出てくるタイミングも分からない。

無職にもなれない。

ただ…給与のない会社員。

教室にいない先生。

 

私は誰で、何のために生きているのか?

心底わからなくなる。

他人に見分けがつくのならば、「貴女は●●さんですよ」とこちらが教えて欲しいくらいだ。

 

人格同士、記憶の共有をしないこともあれば、人格の境界線が曖昧なほど、同化する事もある。

 

会社からすれば「都合の良いいい訳」なんだろう。

私も部外者で、さらに迷惑を被る側なら、そう感じる。

 

それがわかるからこそ、文句の言いようがない。

気持ちのぶつけようがない。

 

生きていても、生きていなくても、気付かれないのでは?と思う。

 

あ…。これが鬱の入口か?