解離性同一性障害と付き合いながらの生き方 私と私の知らない私 育った環境 日々思うこと

私と別の私と私たち

10年以上、解離性同一障害と付き合いながら生活をしています。病気だとしても建設的な人生を目指して日々奮闘

祖父の17回忌

解離とは違う話し。かな?

家族の今の関係性もある話し。

ずっと前、8月20日に祖父が他界した。入院はしていたが余命宣告から時が経っていた事もあり、なんとなく気を抜いた日々。その中で、突然、祖父は旅立った。

私たちから見た祖父は、コツコツ働き、ニコニコ笑い…思い出も相俟って良い人だった。

ただ、私の父からみた祖父は違ったようだ。

毎日酒を浴びる様に飲み、暴力を振るった。祖母は父の弟を連れて家を飛び出した。父は、私の曾祖父に育てられたと言っていた。祖父の酒癖の悪さは聞いていた。失禁する程飲んだり、酔っては人に絡んだり…厄介者だった。

私たちが「おじいちゃん」と呼ぶ頃には、酒も若干控えたが、父との折合いは悪いまま逝ってしまった。

まだ20代だった私は祖父の葬儀を仕切った。跡取りと言う立場で。

父は海外赴任していた。

母は祖母と折り合いが悪く、母家にはいたが談笑していた。

姉は「喪服がない」と高島屋が開店するまで来なかった。

ウェディングプランナーだった私はケータイで引出物や披露宴の話をしながら、葬儀について決めていた。

目が回るほど忙しく、あまり記憶にはない。

そんな祖父の17回忌。

「誰が出席するのか?」で揉め始めた。

ここ1年ほど、私たちは姉と上手くいっていない。甥っ子が2歳になり、姉は私の障害を息子に話したく無いと判断したそうだ。

ま、その気持ちは分からない訳ではない。言いたい・言いたくないの前に目の前で大人が変貌したら2歳児は戸惑うだろ。説明も困難だ。

ただ、私たち家族は、常に揉めているので、感覚は麻痺。何とも思わない。

家族同士でも「あんたは部外者」「不幸になれ」なんてメールが飛び交う。

 

きっと【まとも】なんかじゃないんだろう。

 

死者の法要でさえ「会いたくない」の気持ちが先行するのだから。

 

一方私は?

『興味がない』

祖父にではない。祖父の危篤に駆け付けなかった人々に興味がない。檀家としての体裁だけなら、どーにでもすれば良い。

 

家族とはなんなのか?

 

一生、理解できないのだと思う。

 

以前、精神科医に「子どもを産みたくない」と伝えた。主治医は微笑んで「いいんじゃないですか」と答えた。そして「貴女は家族を知らない。子育ては人一倍以上に大変だ」と補足した。

 

無償の愛がこの世に存在しないと思っている私には納得のできる回答だった。

親が必ず子の事を考える?

いや。それは理想。

親にもエゴがある。エゴは無償の愛よりも勝るのだ。