解離性同一性障害と付き合いながらの生き方 私と私の知らない私 育った環境 日々思うこと

私と別の私と私たち

10年以上、解離性同一障害と付き合いながら生活をしています。病気だとしても建設的な人生を目指して日々奮闘

出来る事・出来ない事

サチ以外の人格を拒絶されて2週間強。

数度、上席に掛け合ってみたが、メールの返信はなし。

LINEも既読スルー。

行き止まりかな('-' ).........。

その間に主治医とカウンセラーに会った。

それぞれ違う意見をもらった。

思考回路が弱まっている時は【答え】求めがち。でも両者と話す利点はそこではない。

「話しを聞いてくれた。分かってくれた。」と言う安堵感。もちろんカウンセラーも主治医も「貴女の考え方は非常識ですね」とは言わない。共感しつつ、言葉を付け足してくれる。

人に話すことで、頭の整理をして、心の引っかかりを少し緩やかにする。

きっとそれが最善。【答え】を聞いてしまったら、他人に人生を左右されてしまうからだ。

あくまでも【答え】は自分で選択するしかない。

・今、不満な事

・納得いかない事

・自分の希望 そんな事を話すだけでも、人は心がスッキリする。

その中でも「分かってもらえた」と感じた時は喜びさえある。

良く、職場の上司の愚痴をみんなで話したりしないだろうか?

「だよねぇ」「ほんとそれな」返事はそんなもん。それでも心はスッキリする。

 

解離生同一障害に限らず【聞いてもらえる幸せ】は誰もが感じるのだろう。

 

#解離生同一障害

#mental崩壊の回避法

多重人格は、別人?

さぁ、ゴールデンウィークも終わり。

明日から仕事だ!と意気込んで、上司に「明日から宜しくお願い致します」とLINE。

連休前と態度は180°回転していた…

連休前は「リズムを保って、できる仕事をしよう」と言っていた上司は

「サチさんでないのなら、出勤は控えてください」と…

 

あぁ。理解してもらえていたと感じていた分、衝撃も強い。

私は、同じ身体を共有していても「他人」なのだ。

それも、本当の他人から言われる「他人」。

赤の他人どころではない。

何色かも、自分が何者なのかも分からない他人だ。

 

・契約したのはサチさんでした。と言われる…いやいや。私たちも居たよ?

同居してんだからさ。

仕事をするのはサチ。確かに伝えた。

でも、授業はケンが中心。英語を発音しているのはユキ。

一人の人格だけが仕事をしていたわけではない。

数週間、上司と話しながら仕事をして来たつもりのユカも、結局、サチではない。

だから、出勤しては困ると言う訳だ。

 

…会社はサチ個人と契約したのか?そんな事はできない。私たちの根幹は同じだから。

 

いつ、サチが自分の部屋に閉じこもってしまったのか記憶が定かではない。出てくるタイミングも分からない。

無職にもなれない。

ただ…給与のない会社員。

教室にいない先生。

 

私は誰で、何のために生きているのか?

心底わからなくなる。

他人に見分けがつくのならば、「貴女は●●さんですよ」とこちらが教えて欲しいくらいだ。

 

人格同士、記憶の共有をしないこともあれば、人格の境界線が曖昧なほど、同化する事もある。

 

会社からすれば「都合の良いいい訳」なんだろう。

私も部外者で、さらに迷惑を被る側なら、そう感じる。

 

それがわかるからこそ、文句の言いようがない。

気持ちのぶつけようがない。

 

生きていても、生きていなくても、気付かれないのでは?と思う。

 

あ…。これが鬱の入口か?

祖父の17回忌

解離とは違う話し。かな?

家族の今の関係性もある話し。

ずっと前、8月20日に祖父が他界した。入院はしていたが余命宣告から時が経っていた事もあり、なんとなく気を抜いた日々。その中で、突然、祖父は旅立った。

私たちから見た祖父は、コツコツ働き、ニコニコ笑い…思い出も相俟って良い人だった。

ただ、私の父からみた祖父は違ったようだ。

毎日酒を浴びる様に飲み、暴力を振るった。祖母は父の弟を連れて家を飛び出した。父は、私の曾祖父に育てられたと言っていた。祖父の酒癖の悪さは聞いていた。失禁する程飲んだり、酔っては人に絡んだり…厄介者だった。

私たちが「おじいちゃん」と呼ぶ頃には、酒も若干控えたが、父との折合いは悪いまま逝ってしまった。

まだ20代だった私は祖父の葬儀を仕切った。跡取りと言う立場で。

父は海外赴任していた。

母は祖母と折り合いが悪く、母家にはいたが談笑していた。

姉は「喪服がない」と高島屋が開店するまで来なかった。

ウェディングプランナーだった私はケータイで引出物や披露宴の話をしながら、葬儀について決めていた。

目が回るほど忙しく、あまり記憶にはない。

そんな祖父の17回忌。

「誰が出席するのか?」で揉め始めた。

ここ1年ほど、私たちは姉と上手くいっていない。甥っ子が2歳になり、姉は私の障害を息子に話したく無いと判断したそうだ。

ま、その気持ちは分からない訳ではない。言いたい・言いたくないの前に目の前で大人が変貌したら2歳児は戸惑うだろ。説明も困難だ。

ただ、私たち家族は、常に揉めているので、感覚は麻痺。何とも思わない。

家族同士でも「あんたは部外者」「不幸になれ」なんてメールが飛び交う。

 

きっと【まとも】なんかじゃないんだろう。

 

死者の法要でさえ「会いたくない」の気持ちが先行するのだから。

 

一方私は?

『興味がない』

祖父にではない。祖父の危篤に駆け付けなかった人々に興味がない。檀家としての体裁だけなら、どーにでもすれば良い。

 

家族とはなんなのか?

 

一生、理解できないのだと思う。

 

以前、精神科医に「子どもを産みたくない」と伝えた。主治医は微笑んで「いいんじゃないですか」と答えた。そして「貴女は家族を知らない。子育ては人一倍以上に大変だ」と補足した。

 

無償の愛がこの世に存在しないと思っている私には納得のできる回答だった。

親が必ず子の事を考える?

いや。それは理想。

親にもエゴがある。エゴは無償の愛よりも勝るのだ。

久しぶり。

仕事を休み始めて1週間。

日々の暮らしに特に不満はない。こう言い聞かせてきた。

人格の境界線が曖昧になる事は、よくある。

これは完治に近づいているわけではない。元々、同じ人間のイマジネーションの世界で、別人格が生きているのだから、【境界線の曖昧】は当然なのだ。

鏡を見て、分かるわけでもない。

見た目は初めから同じ。

記憶もある程度、共有している。

いや。していない人格は自覚していないから「居ない」と判断するだけだ。


上司から「これは、サチさんから聞いてますか?」と小声で確認される。

「…はい」たぶんね。と思って返事をする。


ここで、忘れないで頂きたいのは「元々、健全な人間でも健忘がある」と言う事実。


これが解離の人間には「人格が違うから?」とすぐに病に結びつけられる切なさ。

なんて事ない事だろうが、仕事だろうが、普通に「あっ、忘れてた」って事はある。


何もかもが解離原因ではない。


だが、解離だからこそ記憶がない時もあるから厄介だ。


自分では、

・ただの忘れ

・人格間の共有なし  は感じ取れる。

前後の記憶も何もない。

つまり「あっ。」と思うことがないのが解離だ。「覚えていない」とは感じず「知らない」と感じる。

そんな話しをした事を思い出せない。

これは何とも説明し難いが、本人には分かる感覚。


◆忘れてはいけないのか?◆

解離の人達は、自己防衛の為に不要な記憶は共有しない。それを知れば傷付くと思えば、『嫌な記憶担当者は記憶を共有しない』当然だ。

それが各人の役割なのだから。

ケンには耐えられる記憶でも、ユカには辛い物となる事もある。そうなれば、ケンはユカに記憶を渡さない。ユカを守るのだ。

他の人格も同じ事をする。


また、コミュニケートが取れていない人格の記憶はもらえない。

存在すら知らないのだから「記憶をもらっていない」と感じる事すら無い。

これが「ん?わたし今何してた?ここはどこだ?」に繋がり「他に誰かいるかも…」と思う事はある。

が!数分後には、それすら忘れる。

自分が何をしていなのか分からない恐怖はかなり強い。

だから、忘れるのだろう。


解離の症状として、忘れる。

これは受け入れるしか無い。言った言わないの論争は、めっきり苦手。根底に「覚えていないかも」と言う思いがあるから。


でもさ、誰でも【忘れ】はあるでしょ?

そんなに忘れちゃいけないかい?

憂鬱

失業者らしく、引きこもり中


用事があるので…数日間帰省する事になった。

「誰かに会いたい」という淋しさと「家族は面倒」という気持ちの葛藤


甥っ子は可愛い。

でも他人。


自我のない甥っ子は、私を認識していない。


可愛いが会話は成り立たない。


姉も私にとって、無害ではない。

彼女の「◯◯って常識じゃない?」には疲れる。

また、「私は稼ぎがあるから〜」と無自覚なのか自慢されるのも返事に困る。


結婚生活が1年強で終わってしまうのも、

納得してしまいそうだ。


私が男性なら、彼女とはやっていけない。


家族という縛りがあるからこそ、逃げられないだけだ。


ただ、昼間、ずーっと一人でいるのは耐え難い。

淋しさの大波に飲み込まれてしまう。


必要ない友人に各人格が連絡してしまうのだから、始末が悪い。


友人から返信が来た頃には、なんの用事だったのか、誰が連絡したのかさえ分からない。。。


そのうち、気付いた友人は連絡がつかなくなり、離れてしまう。


その繰り返しだ。



久しぶりのブログ

ずっと家族の近くにいた。


そして、限界を迎えて自宅に戻った。

やはり『家族』とは息苦しさを感じる存在


・父

感情的で威圧的

誤解や自己流の解釈を正すことなく、家族に怒鳴る

暴力は振るわなくなったものの、夕食を棄てたり、大声を出したり…変わらない部分も多い


・母

社会性、協調性がない

社会に出た事がないからか…自己中が目立つ。時折「良い母」を演じようとするが、途中で飽きてしまう。

頼った方としては「また見捨てられた」と言う気持ちが否めない


・姉

「自分は正しい」と言う思いが強い。父には敬語で話し、距離を保っているように感じる。一見、頭がいいようで、甘えたりするのが不得手なので、結果として残念。

闘争心が強く、姉妹関係を壊そうとされると異常に敏感に反応する。


これが家族。


母と姉は過干渉気味。

母に至っては、日記などを昔から読む癖がある。

また、娘の男性関係に興味津々に見える


なぜ、家族と距離を縮めると息苦しさを感じるのか?


理由はわからないが、決して居心地の良い場所ではないのは確か。


どこにいても、他人といれば少しの窮屈や不便は感じるのだろうが…


私にとって家族は最も厄介な他人の集まりである。